二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

なんとなく生きている人が多い

なんとなくあれが好き、なんとなくこれをする、という人が目につく。

例えば大学の講義。4月になって大学が始まった。僕は社会学を専修している。
シラバスに「恋愛について」だの「コミュ障とはなんなのか」だの、取っ付きやすい言葉が見られる講義には人が集まる。
彼らがイスラム史や資本主義の成立やアメリカ文学にも同じだけの興味関心を持っていて、選択の末に「取っ付きやすい」講義にも来ているのであればいい。

しかし実際には彼らは、若者向けのトピックに吸い寄せられているだけだ。
ただ面白そう(興味深いという意味ではなく)というだけで、その講義を選んでいる。


同年代の多くは音楽を聴く。
音楽を自ら演奏しない、専らリスナーの人はとりあえず置いておくとして、僕が気になるのは楽器を演奏する人達だ。

自分はこのバンドが心から好きだ!と普段から言っているにも関わらず、アルバム単位で全て聴いている人は少ない。
僕も同じミュージシャンが好きで、嬉しくなってその話をしても、相手がヒット曲しか聴いていないと少なからず落胆する。

もちろん、そういう聴き方も全く間違ってはいないし、僕もヒット曲しか知らないけど好きなミュージシャンは多い。シンディ・ローパーとか。
でも、それならばそれで「ヒット曲しか知らないけど好きだ」と言えばいい。「心から大好き」「大ファン」ではないだろう。


そもそも、何かが好きなら詳しく知りたい、調べたいという欲求が湧いて当然じゃないか。
村上春樹が本当に好きなら、何故長編の執筆順を知りたいと思わないのか。


他人に対してこういう批判をすることは良くないと僕は思う。自分には当て嵌まらないのか、と省みないといけない。
省みてみると、見事に僕自身「なんとなく」な人間だ。

せいぜい、たまたま音楽には深く入れ込んでいるというくらい。講義だって、例に漏れずシラバスを読んでなんとなく面白そうなものを選んでいるだけだ。

でも、中途半端にしか知らないことについてはそう言うことにしている。


問題は、手軽さにあるかもしれないと思う。
インターネットの普及、アマゾンの普及でなんでもとりあえず手に入る。
何かを摂取しなくても、他人の感想を知ることは出来るし、それを自らの体験として話してもそうそうボロは出ない。

バイクについて考えると面白い。
バイクについて中途半端な知識を喋る人は少ないと思う。それは、乗り始めるために免許が必要で、車両が必要で、多額の資金が必要だからだ。
それを費やす人間は、一定以上の関心を持っていることが約束されるだろう。


今後、より「手軽」な世界になっていったら、何かが本当に好きな人は減っていく気がする。というより、「少しだけ好きな人」が「本当に好きな人」として扱われうるようになるんじゃないか。
それは怖いことだよ。


一度も読み返さずに書いてみたけど、これは自戒以外のなんでもないなあ。
僕は最近、友人と下北沢のソウルバーに飲みに行って泣きそうなくらい感動したり、プールに泳ぎに行ったものの500m時点でヘトヘトになった上にゴーグルがポッキリ折れて泣く泣く中断したりしています。

というか今そのプールを出て近場の喫茶店で記事を書いている。
代表作しか知らない村上龍を読みながら。海の向こうで戦争が始まる。

多分僕が知らないだけで、なんとなく、に見える周りの人々も本当に好きな何かがあるんだろうな。
あって欲しい。