先日、話題の映画「セッション」を観た。
例のゴジラのところで。
セッションといえば、
「セッション!(正規完成稿)~<パンチドランク・ラヴ(レス)>に打ちのめされる、「危険ドラッグ」を貪る人々~」 - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME
町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME
とまあこんな感じだ。
一応僕も、そこそこ有名なビッグバンドのレギュラーバンドのリードトロンボーンを務めていた身として、なにか考えてみようと思った。
とにかく、観終わった後の感想は「恋愛シーンいらねえ」だった。
ニコルとかいう女は主人公にナンパされたあと主人公に振られ、再登場しては主人公を振り、要するにチグハグな存在、とりあえず女いないと!というメタ的なヒロインだった。
音楽面について。ビッグバンドのシーンは迫力もあって良かった。ただひとつ言うならば、全体的にかなり高い精度で当て振り(口パクの演奏版)がされているのに、トロンボーンに関してはちょいちょい適当であった。悲しいこと極まりない。
主人公のドラミングは、菊地成孔が言うようにあまり褒められたものではない。ガチャガチャとうるさく、これならばハードロックを題材にした方がいいのでは?と思うくらい。これは、多分映画的な配慮だろう。ビッグバンドが題材だからといって、ムーンライト・セレナーデのようなしっとり曲をプレイしても、映画として映えない。特に、ライバルたちと競う場面が登場する以上、なにか「強さ」の指標が必要だったのだと思う。今回はそれを、「早く叩ける」ことにしたということ。
まあ仕方ないのでは。
スパルタ教官については、まあフィクションの登場人物だな、という印象。ヴォルデモートみたいなもん。
そもそもこの映画はなまじ音楽学校における生々しい挫折を描いている、というような偏見が広まっていることがいけないんだと思う。これは完全にファンタジーの世界だ。だって、本番のステージに急いでいる時にバスがパンクして、レンタカーを借りればスティックを忘れ、取りに戻れば交通事故に遭う、そりゃもうジョジョかなんかの世界だろう。
そう思ってみればなんのことはない、整合性のとれていない登場人物造形や展開も全く問題ない。
個人的にこの映画は特にどうということはない普通の映画だった、という印象。素晴らしい点は、各楽器を丹念に写し、ミュージック・ビデオのような楽しみ方が出来る点。バンドメンバーが楽器ケースから一斉に楽器を取り出して組み立てるところなんかはニヤニヤしてしまった。残念なのは、先述の通り、ファンタジー映画なのに音楽映画のような宣伝がされていること。
わかりきっていたことなのですが、僕がこんな記事を書いても、結局のところ僕の本棚には菊地成孔の著作が並んでいるわけだし、映画に詳しいわけでもないし、菊地成孔サイドに偏るのもしょうがないですね。失礼いたしました。