深夜ファミレス記録

もう深夜にファミレスにも行かなくなってしまったけど、上野か新宿で夜中まで飲んだあとに勢いで書く日記。

ジェームス・ブラウンの映画を観て、東京女子流のライブに行って、ミュージシャンとアイドルについて考えた

ブログの更新が滞ってしまった。先週何をしていたかというとビッグバンド時代の仲間と色々遊んでいたのでした。

 

一週間前の月曜、かつて一緒にリードラインを吹いていた(僕はトロンボーン、彼はトランペット)友人と渋谷で「ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男」を観た。

かねてから僕はファンク・ソウルのファンだ。しかしこの間の「Whiplash(セッション)」がもはやトラウマ(悪い意味で。音楽映画がいかに音楽ファンから受け入れられにくいか。)となっていたのでビクビクしながら観た。しかしこの映画に関してはそんな心配は杞憂で、主演のチャドウィック・ボーズマンの演技に圧倒されながら、大迫力のミュージックビデオのように楽しめた。JBの生き様はザ・男って感じで気持ち良い。スターはやっぱりセコくないとね。時系列を複雑にしていたりといった映画的小細工もチラチラあったけれど、それはあまり必要を感じなかった笑。

面白いのは、原題が"Get On Up"であるところ。「セックスマシーン」でJBがゲロッパと叫べば、相棒のボビー・バードがゲローナと叫ぶ。そのボビー・バードが言っている言葉こそがこのGet On Upだ(ちなみにゲロッパはGet Up)。つまり、この映画はあたかもJBの映画のように宣伝されているけれど、実のところ主役はボビー・バードなのである。最初から最後まで彼はこの映画の中でJBと共にある。光に対する影であった。

しかしせっかく自分がフィーチャーされた映画が作られたのに、知名度不足でタイトルを変えられて日本で上映されている辺り、ボビー・バードの影っぷりは徹底しているなあ。

 

音楽っていいなと素直に思える映画は他に何があったかな。天使にラブソングを、ブルース・ブラザーズ、それにパルプ・フィクションもそうだった。そういう映画はいいですよね。シンプルイズベスト。(パルプフィクションはシンプルなのか?)

 ちなみにこの映画はミック・ジャガーがプロデューサーを務めている。ご覧になれば分かると思うのですが、映画の最初の方でミックのエゴというかファンサービスというか、とにかくそういうのがすげー目立つ形で入っているのでストーンズファンの方は見る価値ありかもしれません笑

 

 

そして土曜、ビッグバンド時代ギターを弾いていた友人・バリトンサックスを吹いていた後輩とZepp Divercityで東京女子流5th Anniversaryライブへ行ってきました。

僕は一年ほど前にこの2人から東京女子流を布教された。もともとアイドルなんて音楽じゃない、日本が誇れるものはこんなものしか無いのか、などと内心過激に考えていた僕ですが、意外とこれがハマってしまった。曲かっこいいし。

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ギターのリフは女子流おなじみのフレーズ。あとホーン隊が「タッタッタタッタ(2分休符→8分2つ→3つ目抜きの16分)」と決めるのももはやどの曲にも出てくる。

 

さてこの東京女子流は半年ほど前に「アーティスト宣言」をした。脱アイドルを図り、アイドルイベントやアイドル雑誌への出演を絶ち、アイドル的曲を封印するというのだ。

そもそも東京女子流は松井寛という優れたソングライターがバックについており、定期的に生バンドでのライブも行うなど、音楽ファンの心を掴もうとしていた(僕も掴まれた)。そんな彼女たちが目指す脱アイドル、アーティスト化。

 

アーティストってなんだ?

僕は個人的にミュージシャンのことを総じてアーティストと呼ぶ日本の現状が嫌いです。コレの責任はitunesにあると思っていますが。いずれにせよこの場合のアーティストはミュージシャンのことを指しつつ、さらに芸術的なイメージも付与しているという感じの言葉だと思う。

ということで女子流のそれをミュージシャン宣言と言い換えるとして、ミュージシャンとアイドルは何が違うんだろう。現状の女子流は素直に見てアイドルと言わざるをえないだろう。女の子5人(そんなに歌も踊りもうまくない)がステージでパフォーマンスして、おじさんたちが揃いのTシャツとタオルを身につけてペンライトを振り、時折合いの手を入れる。

 

例えばジェームス・ブラウンのライブはどうだったか?客がそれぞれ演奏を聞き、底に流れる黒人の思想、アフリカンなビート、繰り返されるリフのなかに快楽を見出して、自由に踊る。自らの人生を曲に投影して、音楽と一体になって踊る。

 

うーん何が違うんだろう。女子流の客も踊ってるっちゃあ踊ってる。自分で演奏していない点がそこまで問題だとも思わない。おそらく、目に見える表層的な部分ではなくて、音楽活動のベースとなっている部分が分かれ道なんじゃないかという気がする。

女子流のメンバーそれぞれに、固有の音楽性や、歌を通して訴えたいこと、それを訴えるために適切な表現方法、そういったものがあるだろうか。多分無い。松井寛の楽曲に乗っかっているだけ、という面がまだ強い。歌のピッチとかそういうのは前提というか些細な事であって、何故歌うかというところに説得力をもたせられるかどうかが脱アイドルの決め手じゃないか。

独自の音楽性を打ち出せるかどうかも大事。ロックもジャズもファンクもテクノも(これらは恣意的な列挙であり、ただ僕が好きなジャンルにすぎない)、既存の流れを踏まえて、リスペクトを込めて、それでいて自分にしか出せない音を追求しているはずだ。正直そこができていないミュージシャンも多くて、だからこそそういった人達をアーティストとは呼びたくない。日本でチャートを騒がせているような人達の結構多くがそれにあたる。

 

というような感じで、アーティスト宣言の具体的なメソッドはなかなか考えると難しいことなんですが、手段はともかくとして、結果として生じるべき事態がある。

それが客層の変化だ。現状、一般的な音楽ライブとしてはおかしい性別比率になっているのだ。女性ミュージシャンならば、女性から憧れられて当然。ということはメンバーたちもわかっていて、よくインタビューとかでも言ってる。メンバーがお洒落方面も頑張っていけばそういった露出も増えるのかな?とりあえずペンライト売るのやめればどうか…と思ったけど某東京事変もギャラリー皆で旗振ってたな…笑

 

 

ということで長々と書いてしまったけれど、要するに僕は東京女子流の山邊未夢さんが好きです。

(この画像本当にいい…ロンバケも喜んでいるだろう…)