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二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

「火花」芥川賞受賞は又吉直樹がサブカル顔であったことが問題です。

又吉直樹作、芸人が主人公の小説「火花」が芥川賞を受賞しました。

 
僕はこの本を叩く気はありません。むしろ彼はなかなかやるな、と思える一冊だったと思います。たまに文体の一貫性が欠けてましたが新人は得てしてそんな感じです。
しかしながら、個人的には芥川賞を取るべき本ではなかったと思う。なぜなら、芥川賞は「なんか色々すげー本に与える賞」ではなく、ジャンルを純文学と明確に規定した上での新人賞だからです。この本は芸人としてのエッセイでこそあれ、純文学ではありません。純文学というジャンルが、ストーリーではなく人間を描くという趣旨であるとすれば、この作品はこれには当てはまらず、むしろライトノベル的(娯楽という点で)であると言えます。
 
まあこのように色々事情がある本には一つの決まりがあります。
アマゾンが荒れるという事です。

 

 

 

火花

火花

 

 

 

 

しかし現状このコメント欄はただ荒れているだけで一ミリも笑えません。これはつまらない。
どうせならば色彩を持たない多崎つくる君のアレの時のように、または1Q84のときのように、大喜利大会になってくれるとよいです。今回は芸人だし。

 

芥川賞の規定と商業性

ここが非常に危ういところです。芥川賞は過去、三島由紀夫ら戦後派と呼ばれる作家たち、あるいは大江健三郎に至るまで、議論の末に新人とはみなさず候補にすら挙げなかったという経歴があります。
小説家としてのキャリアで言えば又吉直樹は新人であるに間違いないけれども、過去の芥川賞のスタンスとして、「もう売れてる本にはあげない」という駄々っ子的な部分がありました。今回はそれに合致しません。もうめちゃくちゃ売れてるので。
この辺が、「芥川賞は出版社が売れそうな本をピックアップする装置と化した」と叩かれる部分ではないかと思います。
しかし、実は芥川賞および直木賞は創設時から明確に「むろん半分は雑誌の宣伝のためだ」と宣言されているため本来の役割を果たしているとも言えてしまい、難しい問題です。
 
 

結局のところ

論点が様々ありますが、結局何が問題かって、又吉直樹の風貌がいかにもヴィレバン大好き下北沢サブカル女子に受けそうな点でしょう。これがもしもジャイアント馬場のような顔であれば、世間の見る目も変わってきていただろうと思う。
昨晩同意見のツイートを拝見したためブログに書くに至りました。
 
そう考えると、今回の一連の騒ぎは又吉直樹のスタイリスト、さらに言えば又吉家に伝わる顔面の遺伝子に責任を問えます。社会学の祖であるところのマックス・ウェーバーは、「火花」芥川賞騒動をヒントに、理念型の思考、遂には社会名目論ならびに方法論的個人主義を確立するにいたりました。凄いですね。
 
現在ニュースを賑わす他の話題にもこれは応用できます。国会前で見事なパーカッションを披露するミュージシャン団体SEALDsもなまじイケてる外見だから叩かれます(パーカッションだけに)。与党の方々も喋り方がムカつくので叩かれます。
インターネット上の匿名の人々(勉強していないくせに相手にレッテルを貼る人々)は顔が見えないけれど非常にムカつくことがままあります。でも相手の顔がジャイアント馬場だと思えば少し気持ちが落ち着きます。

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流石ですね。