深夜ファミレス記録

もう深夜にファミレスにも行かなくなってしまったけど、上野か新宿で夜中まで飲んだあとに勢いで書く日記。

「ニューアカの聖地」セゾン文化を作ったリブロ池袋本店の閉店

 リブロ池袋本店が今日7/20をもって営業終了してしまいます。池袋に行くことも多い・文系の・大学生である僕としては、非常にお世話になった本屋でした。名残を惜しみつつ、先程店舗へ行ってきました。


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「リブロ死すとも西武は死なず」という原武史に対して「リブロは別に死んでないんじゃ…」という古市くん。

 

ニューアカデミズムの聖地

 リブロ池袋本店は80年代における人文・社会科学の隆盛、通称ニューアカを牽引した存在でした。以下引用。

ニュー・アカデミズム - Wikipedia

 1960年代までにおける社会科学・人文科学におけるアカデミズムの主流は、政治学における丸山真男、経済学における宇野弘蔵、歴史学における大塚久雄の流れをくむマルクス主義であった。(中略)
 1970年代になると、新たな時代の思想を求めて、同様にマルクス主義批判が高まっていたフランスの現代思想が輸入されるようになるが、その発表の場となったのは、当時三浦雅士が編集長を務めていた『現代思想』である。市井の評論家であった吉本隆明をのぞき、廣松渉、柄谷行人、蓮實重彦らは正統なアカデミズムに属する大学人であり、それぞれ専門分野をもっていたが、自身の思想の発表の場を学会誌ではなく、雑誌に求めたのである。(中略)
 1983年 に浅田彰の『構造と力』が出版されると、新聞や一般誌にもたびたび取り上げられて、15万部を売り上げ、「スキゾ」と「パラノ」は流行語にすらなった。現代思想も最盛期で公称数万部の発行部数を弾き出した。柔らかい読み物は一切なく、生硬で学術的な論文で固められた雑誌としては驚異的な発行部数だったと言える。
 その後、浅田に加えて、中沢新一など多くのものが引き続き多くの著書を刊行し、その内容の難度にもかかわらず、大学生を中心に広く読まれたが、やがて現代思想に論文を掲載していたもの達はそれぞれ自分の専門分野に戻り、ニュー・アカデミズムは後退して行った。

 

リブロは1985年、西武百貨店の書籍事業部を分離し、独立。
池袋本店は芸術や文学など人文系を中心にした棚ぞろえで、
セゾングループの創業者・堤清二氏が主導したセゾン文化の一翼を担い、
「ニューアカデミズムの聖地」などと呼ばれた。

 

 僕は90年代初頭生まれ、ゆとり世代。ニューアカは既に衰退した時代に生まれてしまい、池袋西武口にはジュンク堂という非常に目立つ大型書店もある中で、特別にリブロを神格化するような意識はない。けれども、単純に「お世話になった」本屋という意味での思い入れは大きいです。

 浪人時代暇を持て余した僕はリブロに通っては目を輝かせながら人文科学書籍の品揃えを眺め、殆どの場合購入せず、芸術フロアへ行き膨大な画集と評論を眺め、殆どの場合購入せず、最終的にはジョジョの奇妙な冒険を全巻集めました。シティ的でお洒落、先進的(80年代当時)なセゾン文化に対するあこがれは、マガジンハウスへ傾倒する時期(誰もが通過する思春期の特徴)に爆発し、毎月雑誌をチェックしていました。ふとリブロ池袋に費やした金額を概算してみようかと思いましたが、背筋が凍る予感がしたのでここでは辞めておきます。

 

なぜ閉店するのか

リブロ本店の閉店がメディアで報じられたとき、僕はまず驚くとともに理解できませんでした。あれだけ集客力もあって、歴史もあって、ブランドとしても大成したリブロ本店が何故。少しずつ各メディアはセゾングループとセブン&アイホールディングスのアレコレを報じるようになりました。

j-town.net

バブル崩壊でセゾングループは解体。リブロは現在、出版取次大手の日本出版販売(日販)の100%子会社となっている。

一方、同じグループだった西武百貨店は、2006年にセブン&アイ・ホールディングスに買収される。会長の鈴木敏文氏は日販のライバル、トーハン出身だ。
出版業界紙「新文化」の2015年3月4日付け記事によると、西武池袋本店で営業するリブロの存続問題は以前にも浮上したことがあり、2014年夏頃から賃貸契約の話は出ていたという。

 セゾンという後ろ盾を失ったのが運の尽きだったか…なんでも、リブロ撤退後のテナントには三省堂書店が入るとのこと。リブロの営業成績上の問題ではなく、ライバルを潰すとともに自グループの本屋を入れるための策でした。

 

本屋は本と読者だけを考えればいいわけではない

「経営者の身勝手な都合で『読者不在』のまま、断行された」(リテラ)という今回のリブロ閉店は、これからの書籍媒体の変化に伴う文化の経済への吸収の一端、というか始まりに過ぎないかもしれません。僕達からすれば、経営者によって・グループの利益のために・文化を担ってきた本屋が閉店させられるというのはショックなことではあるものの、本屋が本屋として自立して存続するためには、消費者側が本という媒体が持つバックグラウンド的な文化の存在に対する継続的なニーズを見せ続けないといけないのかなあ、と思いました。目的語が長くなってしまった。

あとジョジョ新刊を買いました。

 

 

セゾン文化は何を夢みた

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