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二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

雑記10/15

●ずっと昔から、「歩いているときに友人に会う」と言えば向こうから声をかけられるパターンしかない。
僕は歩いているときは音楽を聴いているかいないか二種類ということになるけれども、前者の時は割と聴き入っているというか、このカッティングがこのタイミングで入ってくる…イイ…などと考えているし、後者の時は周りに良さげな喫茶店や古本屋が無いかぼんやり眺めている。要するにすれ違う人の顔なんて一切見ていない。
よって向こうから声をかけられない限り人と「会わない」ということになる。そのたびにすげー!と思う。なんでこの人俺に気付いてくれるんだ、しかも素通りしないで声かけてくれるんだ、と涙ながらに感動してしまう。みんな良い人だな…ありがとう…ありがとう…

●喫茶店と言えば、最近強く思うのは周り(僕の周りの限定されたコミュニティ)の大学生あるいは人間の中には、喫茶店への考え方がなんか変だなあという人が割と多い、ということ。
そもそも、偏見と語弊に溢れた物言いをするならば、キミたちにとって喫茶店っていうのはどれのことなんだ、と思う。間接照明があって、店員の身だしなみがイイ感じで、テーブルも床も壁も綺麗(もちろん禁煙)、インスタグラム映えバッチリ、そういう店のことだけを喫茶店と呼んで、「もっと素敵なカッフェ増えてほしいなあ」などと仰るのは些かマガジンハウスとNAVERまとめの読みすぎじゃないか。
もちろんそういう店もヒジョーに良いし、増えるに越したことはない。しかし上記仮想的な一般ピーポーというのは、くたびれたおっさんマスターが暇そうにしている、壁はもう茶色で、ブレンドとトーストが安くてナポリタンは特盛、ラックにはゴルゴ13とこち亀とナニワ金融道、こういった店をスルーして間接的に潰していき、サードウェーブとかいう只アメリカで流行っている店の看板を使っているだけで特に味が同じな訳ではない店をチヤホヤする。残酷だなあと思わなくもない。
ここからが本題になるが、僕の地元で最近潰れてしまった店(異様に古いプラモまで揃える玩具屋、特にどうということもないけど悪くはない古本屋、こじんまりした安めのフランス料理屋)に共通するのは、「間接照明ではなかった」ことである。恐るべしIKEA。