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二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

『平坦な戦場で僕らが生き延びること』と言われると

岡崎京子への熱が再燃しております。『ヘルタースケルター』をふと読み直し、『恋とはどういうものかしら?』と『危険なふたり』と『森』を古本屋で買ってから、改めて『リバーズ・エッジ』。あれはなんなんだ。どうしてあんな世界を構築できるんだ。若草ハルナの目を通して見ることになる暴力、山田くんと吉川こずえの表情。観音崎・田島・小山といったキャラクターも活き活きと振る舞っている。セックスと死体、工業地帯のそばのニュータウン、80年代の後の90年代、こういうマテリアルにガツンとぶん殴られる。自分はあの当時は子供だったけれど、一応その社会に参加していたことが共感を招いてるのかな。それとも憧れかもしれない。ムズいのだ。

 

YEN TOWN BANDを聴くときと同じような、重いのに浮かび上がるこの感じはなんなんだ。宮沢章夫は岡崎京子を文学的に分析することへの違和感を唱えているけれども、彼の言う「絵の力」を踏まえてなお岡崎京子の文学的側面にヤラれる。モノローグもそうだ。あ、でも山田くんや吉川こずえの無言・無表情の奥の暴力性は漫画ならではだ。というか、文学と漫画とは絵の有無だけで決まるのだろうか。エヴァはアニメ。スワロウテイルは映画。大江健三郎は文学。岡崎京子は漫画。というジャンル分けの圧倒的正しさになんだかムズムズしますね。

 

平坦な戦場ってなんだろうか。バブルが弾けた後、環境問題が取り沙汰され、再開発が進むあの時代の東京を指す言葉だとしたら、2016年現在における平坦な戦場は読者たる僕達が考えないといけない。ファンも楽じゃねーな。

言うまでも無く、就活は戦場ですら無い。どちらかと言うと、八方美人に生きて・友人を増やし・日々ニヤニヤと過ごしている日常生活そのものについて考えるほうがしっくりくる。ブログにこういう雑記をカタカタ書いて生き延びる。YouTubeを手探りで歩きながら生き延びる。このぶんだと多分明日は『Pink』か『東京ガールズブラボー』を読んでそう。でも健全な成人男性なので刃牙も読むしナニワ金融道も読む。バランス感覚で生き延びるぜ。

 

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

 

 

新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること  岡崎京子論

新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論