デニーズを愛していた。
ファミレス全般を愛していたが、デニーズは別格だった。
サイゼリヤやガストより値段が高い分、高校生の恋愛話や8時間コースの主婦たちの喧噪に巻き込まれなかった。
一方で、日替わりランチなら手頃だったし、贅沢をしたいときは1000円強で美味しいパスタやドリアにサラダとドリンクを付けることができた。
なにより、デニーズにはカリフォルニアの風が吹いていた
そのデニーズの死は、突然のことではなかった。水たまりに落ちた軍手のように。少しずつ浸食は始まっていた。
かつてデニーズにドリンクバーは無かった。その代わり、ドリップコーヒーを頼むと、何杯でも店員さんが注ぎに来てくれた。ドーナッツさん(ミスター)と同じ仕組みだった。
学生時代、深夜のドリップコーヒーが僕を支えてくれていた。
東京にあった実家からバイクで7分。西荻窪のデニーズで。本を読んだ。映画を観た。音楽を聴いた。卒業論文を書いた。
どれだけの時間を過ごしても、カップの中のドリップコーヒーは無くならなかった。
夜が明けて、バイクのエンジンをかける時、いつもデニーズの看板を見上げた。
ああ、デニーズ。Denny's?デニーさんの、何?分からないけど、ありがとう、デニーズ(元々はダニーズコーヒーショップであり、ダニーさんの店でも無かったことを、後にアメリカ中部のデニーズに行った時に知ることになった)。
だが、ドリンクバー導入は止められなかった。
確かに、今のデニーズのドリンクバーは凄い。ドリンク50種類、ワンタッチで好みの飲み物のカクテルを作れる、そしてタッチパネル操作。そのハイテク感、そして清潔感は他の追随を許さない。
でも、日本社会の海へ向かおうとする大きな流れは、コーヒーのおかわりも、顔を合わせてのコミュニケーション、そんなデニーズを過去にした。
その中で、数少ないが、ドリップコーヒーを続けた店もある。
その一つが、デニーズ岐阜加納店だった。
友人家族を残した東京を離れ、岐阜で暮らす僕を、デニーズは支えてくれていた。
いつでも、わくわくする、それでいて胸が裂けそうな、深夜の香りがした。
ドリンクバータイプのデニーズ岐阜長良店も結局はよく利用していた。電源が使い放題だからだ。
ドコモワイファイを飛ばしてくれているデニーズで、僕はいつでもインターネットにアクセスすることができた。
ここにエレクトリックパワー問題さえ解決すれば、デニーズは僕の可能性を無限に拡張することができた。
ここから先は、書く手も震えるほどだ。
ドリップコーヒーの岐阜加納店はほどなく、ドリンクバーになった。
そして喫煙席は無くなり、電話ボックスのような、超人専用刑務所であるラフトのような、喫煙ルームが作られた。
電源ボックス席の岐阜長良店は、ルームすら無かった。全面禁煙だ。
つい先ほど、岐阜長良店の駐車場に車を置いたとき、異変に気づいた。少ない。車が少なすぎる。
いつもの角ボックス席に座って、スープと珈琲と野菜ジュースを飲んで、灰皿を探した。でも、無いんだ。小さい張り紙があった。6月6日から、全面禁煙
そんなことってあるだろうか?
唯一、岐阜鏡島店だけは喫煙席を残してくれている。
だが、喫煙席がエアコン直下のため、寒い。寒いだけでなく、目が乾く。
赤道を挟んだ南北の乾燥を知っているだろうか?サハラを始め、世界のどの経度でも起こりうる、圧倒的な乾燥だ。それがなんと日本・岐阜、デニーズ岐阜鏡島店の喫煙席でも生じるのだ。
また、岐阜鏡島店はゲームセンターに直結しているため、治安がランボーだ。いや、正確に言うとタクシードライバーかもしれない。岐阜鏡島店に深夜現れる彼らは、あのデニーロと同じ瞳をしている。
じゃあ、どこへ行けばいいのか?
私たちはどこから来て、どこへ向かうのか
これまで、将来を考えるということは放棄してきたし、老後に2000万貯金するくらいならスーパーカブで国会議事堂に突っ込む(そしてカブを起こして歩いて帰る)、そういうスタンスで生きてきた。でも、デニーズがあれば良かった。
今の僕には何も無い。24K Magicくらい空っぽだ。
でも、決めたんだ。
コメダ。コメダコーヒーだ。失礼、コメダ珈琲だ。とにかく、僕はあそこへ向かうよ。
コメダは優しいんだ。新聞は朝日読売中日岐阜と置いてあるし、席も広いよ。でも、土日は禁煙なんだ
それでも、僕は、俺はコメダに行くよ。ファミレスなんて結局、ファミリーのレストランだったんだ。俺が間違っていたんだ。
みんなはどうする?俺は先に行くよ。コメダで待ってるぜ