読みました。
文藝春秋で読んだんだけど、ここ数年の楽しみは芥川賞選評での古市くんへの評価を読むこと。例年山田詠美あたりが手厳しいんだけど、今年の作品は割りかし評判良い様子。読む気にはならないけど…
そのあと、今村夏子さんのエッセイ。「芥川賞を取ると友達ができると聞いていたのですが…」という。受賞の会見のあとはホテルで缶ビール飲みながら水曜日のダウンタウン観てたそうです。
学生時代に絵本作家を目指して一日で挫折し、そのあとは漫画家を志したけど飽きて、その後も職を転々として。どれも熱意を持てなかったらしい。
そんな今村さんを読むのは今回が初めてだったんですが、むらさきのスカートの女、面白かったです。
「実は語り手がイカれてる」パターンの、ごくごく狭い箱庭の私小説でした。
経歴を見てから読んだので、すごく、この人が書くとこうなるのかという納得感があった。世界のいびつさを普段から感じてるんだな…って感じで…
主人公は人間観察が好きというより妄想しているだけ。満員のバスで、(おそらくただ立っているだけの)サラリーマンが女性の髪の匂いを嗅いでいると思って疑わない。というか、当然のように生活のすべてをストーカーに使っていることにぜんぜん気付いていない。家賃を払えず漫画喫茶暮らしになったことすら、後になってから思い出したように触れるだけなのがいい。
いきなりむらさきのスカートの女の鼻をつまんで、謝って、友達になろうとするところも良い。むらさきのスカートの女が所長と商店街を歩くとき、みんなが祝福するに決まっていると想像するところも怖くて良い。黄色いカーディガンの女と子どもたち以外、むらさきのスカートの女を認識すらしていないのに。
ホテルの備品の転売騒ぎもさらっと書かれててクール。作中ではおおごとなのに。犯人自分だし。
主人公がどうイカれてるのかよく考えてみると、完全に現代病なのが分かる。みんなそうっすもんね。インターネットとSNS。仮想敵と仮想同志。現代の偏執を擬人化したように思える。
しかし、コンビニ人間といい今作といい、芥川賞って普遍性は重視しないのかな。というより、時代性自体が普遍性を獲得するって感じかもしれない。
でも、僕たちが芥川龍之介を読んで感じるような人間の欠落みたいなものって、数十年後にコンビニ人間やむらさきのスカートの女を読んで得られるんだろうか?