深夜ファミレス記録

もう深夜にファミレスにも行かなくなってしまったけど、上野か新宿で夜中まで飲んだあとに勢いで書く日記。

良い目をしとる、あんたも立派なヒッピーだ

国の緊急事態宣言の解除おめでとう岐阜県。

そんな岐阜某所で、「俺は昔から反抗、反逆の男なんだ」と語る男性(70)と出会った。半年前に新宿三丁目で共にハシゴした挙句、凪でギブアップしていたあのお爺ちゃんを思い出す。そういう、良いめぐりあわせだった

 

男性からは出会って早々に説教を食らった。「君ももっとこう、社会を倒すという強い意志を持ったほうがいい」とかなんとか。あなた昼間から冷酒飲みまくってるくせに。菊水がおまえのプロテストか。と、こりゃ面倒なのに絡まれたな、と最初は思った。

 

「俺なんかはね、昔から反抗、反逆の男なんだ」

「そうなんすか」

「俺の時代はね、全共闘だとかね。君は知らんだろうけどな」

「いや、大学の卒論でそういうの扱いましたよ。大学闘争から新宿フォークゲリラとか」

「本当か、俺フォークゲリラ行ってたよ」

「マジっすか。演奏ですか」

「いや、客、ていうか当時はそういうもんだったの。喫茶店とかね、ジャズのハコに溜まってね」

「で、西口地下広場集合っすか。ジャズのって、もしかしてピットインすか」

「ピットイン!そうそう。ナベサダとか山下洋輔とか、あとトランペットの」

「日野皓正」

「そうそう、あんた詳しいね」

「やー、詳しくはないんすけど、ピットインのスタッフやった時期もあったんで。ちょっとだけ」

「スタッフ!?そりゃ凄い。いい時代だった。あの頃はラブアンドピースってね」

「ウッドストックとかね。ジミヘンとかスライとかの音源はよく聞きますよ」

「ほんとかい!いいねえ」

 

意気投合した。

その人は、70歳とは言うものの背が高く、姿勢もまっすぐ、髪は短く整えて、痩せているし、灰色のスーツと言うか背広をピシ~っと着た男性だった。

 

しかし男性は酔っぱらっていた。昼間から飲んでるし、反逆だのなんだの言うし、昔は新宿で溜まってたなんて言う癖に、タバコは吸ってなかったな。反逆児が禁煙か

 

で、音楽の話を続けていたが、どうやら男性は『狂気』発売前のピンクフロイド箱根ライブだとか、バリバリ全盛期のストーンズライブなんかに足を運んでいたらしい。このへんに来るとぼくもノリノリで、もっと70年代のことを教えろ!と前のめりだ

 

「ピンクフロイドのその頃って日本でももう人気あったんすねえ」

「そうだよ。ダークサイドオブザムーンの曲を、新曲としてやってくれたりしたな。あとツェッペリンも見に行ったよ」

「まじすか、スゲー!いつ頃ですか、それも全盛期?」

「いつだったかなあ」

「アルバムで言えば?ZEP4あたりとか。もっと後とか」

「忘れたけど、割と初期だったと思う」

 

気になる気になる。彼はこう続けた

 

「ジョンボーナムが生きてた頃だったな」

 

 

さらに話は尽きなかった。「音楽っつうのは、ハードでなきゃいけない。ロックだよロック。メジャーコードも駄目だ。マイナーしか認めない」と主張していた。福井の蒔絵職人さんも同じことを言っていた。彼は天国への階段を聴きながら天国へ行きたいとも言っていた。

全体的に無茶苦茶だが、高齢者が言うとそれなりに様になる。マイナーコードしか認めない高齢者はおそらく皆さんの周りにも隠れているはずだ

 

 

男性は最近の音楽が気に食わないらしい。

「紅白歌合戦が大好きで毎年みてるんだけどな」

 

メジャーコード多そうな番組を見るなよ

 

「紅白見てるんだけどな。なんだあの、星野ってのは」

「星野源すか。いろんな音楽ちゃんと取り入れてポップにして、頑張ってるんじゃないんですか」

「そうは見えないな。歌が駄目だ。ロバートプラントとぜんぜん違う。ポールマッカトニーだって、甘い曲にもトゲがあったもんだ。だいたいジミヘンとかJB、それこそマイルスのようなカリスマ性が無いんだよ」

 

などと文句を言っていたが、星野源も別にプラントになりたいわけじゃあないので、ここは目の前の酔っぱらい高齢男性の完全敗北だ。

 

あとは確か、「ダニーハザウェイはソウルなんかじゃない。甘すぎる。カーティスだよカーティス」とか、「はっぴいえんどってあの、フォークか?そんなの聴いてんのか。あいつらは駄目だ、都会ぶって余裕ひけらかして。もっと汗をかいてほしかったんだよ」とか、「なに、君はデヴィッドボウイとルーリードが好きなのか。まいったな。俺も大好きだ」などとイチャモンや愛情を吐き出していたが、僕はそういうのを聞くのが好きだからまったく問題ない

 

 

最終的には、僕のことをえらく気に入ってくれた。

「きみは文章を書く仕事なのか。音楽雑誌やなんかにいけばいいじゃないか」

「いや、僕なんかより詳しい人がそこらじゅうにいたんで、そういう考えにはなんなかったす」

「アッハッハ おれも、こいつにゃかなわんってやつがいっぱいいたよ。あっはっは。しかし君は昔のこともよく知っているし、良い目をしてる。あんたも立派なヒッピーだ」

立派なヒッピー?

「いやそんな、でもうれしっす、僕も70年代のことこうして喋れると楽しいんで」

「そうかそうか。今度良いところに連れてってやる。連絡先を教えてもらえるか」

良いところ?

「はい、じゃあまた。今度は一緒に飲みましょう」

「そうしよう 良いところにも連れて行ってやるし」

良いところ?

 

とだいたいこんな感じだ

 

その時以来、「立派なヒッピー」という響きに完全にヤラれてしまっている。立派なヒッピー。ヒッピーは立派でありうるのか?立派なヒッピーはヒッピーとして扱っていいのだろうか。そしてそれがこのおれなのか。多分、立派なヒッピーは人類史上おれが最初だろう。

いや、「あんた『も』」と言っていたから、あの人も、かつて立派なヒッピーだったんだろう。おれと彼だけの世界だ

 

知らない人から「良いところに連れて行ってやる」と言われ、素直に行くやつなんかいるわけないというのがこの国の常識でも、いまはもはや新しい生活様式だ。横並び。時差出勤。オフィスは広々と。おれは良いところに行くよ。帰ってこれたら、報告します