深夜ファミレス記録

もう深夜にファミレスにも行かなくなってしまったけど、上野か新宿で夜中まで飲んだあとに勢いで書く日記。

平成最後の夏、じゃあないんだよ。逆張りじゃなくて。

平成最後とかこつけて、俺たち私たちの平成!っていう帰属意識が高まってるっぽいんですけど、どうにも間違ってると思うし、好みの問題じゃなくてやっちゃいけない括りな気がするんだよな。

新聞とかテレビの平成振り返り記事も含めてどうにも間違ってる気がする。

 

平成の大事件、とか、平成のIT革命、とか、それを言うならゼロ年代とかテン年代で良いと思う。なぜかって、平成という元号はまずもって天皇の在位期間にのみ規定されるものだから。

 

明治大正昭和は、「時代」として正当な括りだと思う。その時代とその天皇が密接に結びついているから。昭和で言うなら日中戦争も太平洋戦争も玉音放送も人間宣言もそう。

平成は、人間宣言した後の天皇の在位期間であって、俺ら平成育ちは、今生天皇の下で暮らしてきたのか?というと、そうではない。左翼思想だとかそういうんじゃなくて、そう思うんだよな。昭和以前とは決定的に元号の意味の重さが違う。

 

で、その上で、俺らは天皇の即位と退位を物事のリズムの中心に据えている!っていう人は、別に平成最後とか言ってて全然問題ないとも思う。別に天皇を敬う気持ちは俺にもあるし、今でも日本の中心は天皇だ、っていう考え方を否定する気も無いから。

 

安易に使われるのがイヤなんだよな。みんな考えてないのかな。王政復古を目指すとか、明治維新とか、歴史上の終わった出来事ではないんだけどな。これからもみんなで国の動かし方は主体的に考えていく義務があるんじゃねーかなあ。

 

まそんなん言っても俺も確固たる意見が無い普通の日本人なんですけど…。俺の全世界は、目の前のハイボールだけですわ。

それでも、使う言葉は考えたいね。次の元号は、次の次になって以降、オリンピックと一緒くたにのみ語られるんだろうか。それってヤダねえ~