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二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

文学部的マインドの欠如・セカイ系・ノンエリート意識・エリクソン

雑文

ブログの下書きを見直していたら、すっかり忘れていたエントリーを見つけました。一年越しに加筆したのでもし軸がブレていたら ごめんなさい。

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・日本人学生の自尊意識の低さ

「セルフ・エスティーム」についての研究調査で、日本人高校生において「私は価値のある人間だと思う」と問われた際に「全くそうだ」「まあそうだ」と答える割合は36.1%であり、これはアメリカにおける79.1%、中国における87.7%、韓国における75.1%に比べて明らかに低いとされた(日本青少年研究所, 2010)。とある書籍で、こうした状況はセカイ系と呼ばれる若者の娯楽文化との関連性があるとされた。それは中学生が主人公で、内省的で、そして彼らは社会領域が排除されて世界の危機云々に直結されている。言い換えると、少し前に大流行していたこれらの作品群の中で彼らは社会の存在を否定しているわけで、その思想が現実の若者に影響を与えているという。社会なんか存在しない、自分は自分の周りの世界だけが居場所であると。個人的にアニメとか漫画が現実世界に与える影響を過大評価するアレはあんまり好きではないけど、この意見はまあまあ納得した。

 

・社会は存在する

サッチャー元英首相は「社会というものは存在しない、あるのは個別の男性と女性であり、家族だ」と述べた。現状に即した意見であるし、実際具体的事象としての社会は存在しないと思う。でも、社会に施策を行う行政は存在する。そして間接民主主義が採用されるのは、国民が政治に代理人を送ることの正当性が認められているからであり、社会が存在しないと諦めてしまうことは行政と国民が切り離されることにほかならない。

個人を構成するのはエス・自我・超自我だけだ!とフロイト的考えを、それとは意識せずとも若者が共有することは、個人の中での社会性を否定しているわけで、なんというか、いやよくわかんないけど、「君たち別に碇シンジくんじゃねーから!」という気になります。現実に、仮想としての社会が想定されて、それに含まれているわけじゃないですか。なんか自信なくなってきた。

 

・文学部的マインド

ところで、昔大学の教員が「文学部的マインド」という言葉を使っていたのを聞いて、なるほどと思ったことがあります。現在およそ官僚になっている人間というのは法学部出身であって、その事自体が異常な偏りであるという。そう考えれば確かに、文部科学省ともあろうものが文学部とか金になんねーし職業訓練校でよくね?と言い出すのも、まあ納得できる。実利に結びつかない分野を学ばないまま官僚になってるわけだから。

で、これは仕方ないとして、どうするかっていうとそこで文学部・社会学部の大学生が動かなきゃアレがアレなんじゃないか。エリク・H・エリクソンは「アイデンティティの保護者としての社会施策」を考えた。

若者は、仮に自尊意識が低いからといっても、自己意識が低いわけではなく、むしろ常にアイデンティティを求めていると思う。だからツイッターに所属団体を羅列したりする。そのアイデンティティを求める先が社会概念ではなくて、自分の交友関係という狭い世界に限定されているのが問題だ、というのが先のセカイ系の話。でもエリクソンが言うように社会はアイデンティティを保護している。ならば、自己の外の存在として、あるいは自己自身として、社会の存在は否定しちゃいけないんじゃないか。言い換えるならば、俺は俺、好きにするよ、という気持ちはある意味では正しいけれど、ある意味では生の放棄なのではないか。包含されている自覚だけは必要ではないか。

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結局、何が言いたいのか纏まらないままなのですが、少なくとも「軽率に社会を無視するのは違う」、ということは感じます。意見としてではなく直感として、というレベルでそんなに悲観的な考えをしてしまう、それも無自覚に、というのではあまりに残酷だから。

ただ、「就職すること」=「社会に出る」という言葉は本当に嫌いです。学生も社会の構成員だし、アルバイトも社会活動だから。周囲でこういった言葉が溢れている現在、違和感と悲しみを隠し切れない。だからこんな記事を書いてしまった。お、俺は俺だから好きにしたんだよ。