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二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

大学生限定無料だったので国立新美術館マグリット展に行った

今日は火曜日ということで本来は休館である国立新美術館。しかしこんなキャンペーンを目にした。

bitecho.me

ということで、兼ねてから行く機会を伺っていたマグリット展に行った。

 

昼過ぎに起きてよっこらしょと体を六本木に運び、新美に着くとそこはさすがの休館日、ロビーにもあまり人影はなく、なんだか関係者として入館しているような高揚感アリ。ミーハーな僕は少しテンション上がり気味でマグリット展示のある二階へ上がる。

なんだこの人の数は。多い。予想外に中は混雑していた。そしてそれらは全て大学生。気に食わない。大学生しかいない空間というのはこれほどまでに異様でストレスの溜まるものだったのか。道理で大学も嫌なわけだ。

展示内容は期待通りといえば期待通り。何の変哲もないといえばなんの変哲もなかったけれど、シュールレアリスムの展示特有のふわふわざわざわとする気持ちは十分に掻き立てられた。しかし大学生達がウザい。一つの絵に目をやっては友人同士で苦笑し合い、「よくわかんないね」と言いながら5秒ほどで次の絵へ行く。何しに来ているのか。

おそらく僕の心が狭いだけだし、僕も絵画は不勉強だから何も偉そうにすることは出来ない。しかし絵画、特にシュールレアリスム絵画はわからないことを堪能する側面が強いはずだ。もう少しじっくり向きあえばいいのに。と思うと同時に、人の振り見て我が振り直せというか、僕も普段、絵画ファンからするとああいうふうに映っているのかもしれないと考えて怖くなる。

 

マグリットの絵を見て何か読むに足るような感想を書くことが出来るとは思えないが、一つ考えたこともあった。彼ら画家は無関係な事物を並べて、あるいは無秩序を生み出すことによって、鑑賞者の内に旧来の価値観を揺らぎを引き起こし、己の見直しを促すという。しかし、現代において僕達は何を見てもそうそう驚かない。インターネットメディアでは表層的なインパクトが重要され視覚的な意外性が増幅されたコンテンツが溢れかえっている。SNSの流れの中に踏みとどまるためには相当な意外性が必要だから。それらは当然マグリットも含む、プログレッシブで、イメージの再構築を煽るような画家の作品を基にして作られているのであり、いわば僕たちはそういったものに見慣れているのではないか。

中世の西欧絵画などはその技術そのものに感嘆することができるけれど、ある程度最近のものになるとそこには新奇性が求められ、そして僕たちは無意識の内にそれらに親しんでしまっている。マグリット複数の題材のコラージュのような作品が多いけれど、それこそ現代ならスマホ一台でああいったことが出来るようになってしまった。ジャクソン・ポロックとかはそう真似できないから新鮮さを保っているけれど。

そう考えると僕たちはとても不幸かもなあと思う。でも音楽に置き換えて考えてみれば、Flying LotusであったりRobert Glasperであったり、新たに生み出される音楽にも新鮮な驚きは多い。イエスをはじめプログレ四天王は今聴いてもプログレッシブだ。ならばこの感想はただ僕が絵画についての知識が不足しているために新奇性を享受できていないだけかもしれない。

身も蓋もないですね。