友人に触発され、タイトルにある書籍を買った。
自炊者になるための26週、である。いいタイトルじゃないか。1週ごとにタスクが示され、従っていくと最終的におれは自炊者になるのだという。
すばらしい。友人との飲みの場で即座に購入した。
おや。
なんだか不穏な表紙だ。國分先生の帯、これは大丈夫か。人間が持ちうる賢さについての書物のつもりで買っていなかった。
ページをめくる。1週目はパンを焼くことだ。それなら簡単、30年間朝食はトーストでやってきた。タスク自体は問題ないのだ。
問題は、内容であった。においを楽しむこと。人間の感覚は順応する。香り、においというのは現れたときに感じるものである。バゲットの場合は穏やかに加熱する。サワードゥの場合は、、、
いうなれば、結婚式の二次会から招待され、カジュアルな食事会だからね、と言われてアメリカ70's古着のワークシャツ程度で行ったら、結局のところみんなスーツにハンカチーフだった、という感じだ。就活で言っても同じだ。
甘い考えで取り組み始めたのだと痛感する。
だが、もう一段階の変化もあった。表紙の「ていねいな暮らし」テイストにくらっとやられたものの、書いてある内容をしっかり読むと、普通に良い。
確かに、30年続けてきたトースト生活に対しておれは順応しきっている。なんなら毎日飲むコーヒーもそうだ。たったいま食べたトーストがどんな香りだったのか、1秒後にはわからない。コーヒーも、あったたかったな、苦いな、という程度の感覚しか残っていない。
この本を読み、少しだけ「立ち上がり」「表出」に気を向けることができた。
今週はコメを炊くことらしい。それもできる。余裕だ。
と思いきや、「30分は浸水させる。ほおら簡単でしょう」というような文章がちらっと見えてしまった。
浸水なんてさせたことない。
果たして大丈夫なのか、できるだけこのブログで26週分のリポートを実践したいと思う。