コロナになりました。
発症は23日。朝、ほんの少し喉が痛いなーと思ったが、寝ている間にズボンを脱いでしまっていたので(幼児期から今までよくある)、風邪気味かなという認識であった
これが甘かった
昼、しんどさが一気に来る。気合で耐えきるが、この日夜に吸ったタバコは信じられないほど不味かった。これはよっぽどやばい。このおれの体がニコチンで喜ばないなんて。
翌日、翌々日とも大事な仕事が控えているため、体調を整えるべく、夜はちゃんとシャワーを浴び、暖かくして就寝。この時36.9℃。
明け方、4時ごろ。信じられない頭痛。寒気。動けないだるさ。これはやべえ。知ってるやつだ。
3年前、急性腸炎で。2年前、バリウムによる盲腸で。1年前、また胃腸炎で。
気づけば毎年やっている。39度台の高熱に違いない。
目を開けるだけで生命が終わりそうなくらいしんどい。だが、状況を把握しないことには始まらない。マッハ突きを背中で受けきった後の花山薫くらいの感じで立ち上がり、体温を再び計測。やはり39.4℃だ。
終わった。
控えていた大事な仕事は無理そうだ。最後の力を振り絞り、「夜分にすみません」と前置きしながら、上司と、仕事のメンバーに体調不良の旨を送信し、力尽きる。
24日。1日中熱が下がらず、ただ寝込むのみ。脳裏に浮かぶのは、なぜか「草原を走るラクダ」のイメージ映像だった。
コロナの可能性を考えた妻が抗原検査キットを買ってくれた。
一箱2000円もするこのキット。
えいっ。と鼻に綿棒を突っ込んで、指示書き通りに検査薬にしたたらせる。が、高熱による各種能力の低下と、持ち前の不器用さと、そのかけ合わせにより、結果は無残にも「無効」。
もう一度やる。あまりに無残にも、また「無効」。妻も怒ってしまった。
ただでさえ死にそうなのに、味方を失い、いよいよもう駄目だ、とぼんやり思っていた。
25日。朝、近所の発熱外来へ。男性医師が抗原検査。
「あっ、いけない。それはおれには効かないぞ、、」とちょっとだけ思った瞬間、想像の5倍くらい奥まで綿棒を入れられた。高熱でぼんやりとしか覚えていないが、少なくとも体感では、鼻から入った綿棒が前歯の裏くらいまで来ていた感じがした。
医師は手際よく検査薬をセット。するとみるみる「T」にラインが。医師はなぜか嬉しそうに「すっごい出た、コロナ」と言った。今書いていて気づいたのだがなんだかいやらしいニュアンスでとても不快だ。
陽性となってからは、そのあとに控えていたさらに大きな仕事たちもキャンセル。
同時に、感染拡大を防ぐために宿泊療養をすることにした。
都の陽性者なんとかかんとかセンターになんちゃらし、次に宿泊療養なんちゃらになんとかして、無事に、「アパホテル浅草駅前」に宿泊が決まった。
そしておれは、かつてヨーロッパバックパッカーやアメリカ横断でお世話になった大容量リュックに、はち切れんばかりのお菓子を詰めて、アパホテル監禁生活を始めた。