深夜ファミレス記録

もう深夜にファミレスにも行かなくなってしまったけど、上野か新宿で夜中まで飲んだあとに勢いで書く日記。

まずは手を動かせ、とは限らない

※このエントリーはいつもと違って妙に真面目に書かれたものです

 

 

ここ10年くらいですっかりベンチャー的価値観が定着していて、SNSやウェブ広告、教育現場においても「悩んでいる時間があれば手を動かせ」「人生、やるかやらないかだ」言説が飛び交っている

 

おれも基本的にその考えには賛成である。自分にとって苦手なことではあるが、だからこそ意識しておくべきことでもある。

 

だけど、「とにかく手を動かせ」の裏にあるのは「アウトプットの質にこだわるな」であり、「質は低くても、発信すれば話題になる(発信しなければ話題にならない)」であり、「誰かの目に留まり、活動のスケールを拡大することを目指すのが当たり前」である。

 

妻が伝統工芸の作家としても活動しており、自分もクソアマチュアながらうんうん唸りながら小説を書いている立場としては、「その限りではない」という違和感をちゃんと表明しておきたくなった。

 

 

おれは小学生のころからずっと、「人より作業は早いがアウトプットの質はよくても平均点」の人間である

図工がその最たる例であり、一方で教科学習においてはスピードが点数に直結するためハイスコアを出せた。

 

 

創作活動と処理活動は考え方や原理がまったく違う。まったく違っていなければならないし、違っていることがもっと周知されなければならない。

 

作品を作る手が1か月止まっているとしたら、生産活動としては無駄になる。

効率が悪い。なにより「アウトプットしなければ何もしなかったことと同じになる」。

 

 

実際には何もしなかったわけではない。悩んで、考えて、調べて、試行錯誤して、結果に納得がいっていない状態が続くこともある。

美しさや技術の高さを突き詰めようとすることを否定してはいけない。

 

 

妻は死に物狂いで作品制作に臨み、おそらく出品すればなんらかの賞はもらえただろう公募展に対し、最終的に出品をあきらめた。

おれはこのことがしばらくの間理解できなかったのだが、やっと1ミリくらい分かるようになってきた。目的がそもそも違うのだった。

 

 

あまりにビジネス領域からの発言力が大きく、10代や20代の若者がその影響をまっすぐ受けていることにシリアスな危機感を覚える。

 

あるいは、先日工芸に関わるビジネスの社員が「実際のところ作品や商品自体には興味がない。ストーリーづくりに興味がある」と断言していたことがずっと引っかかる。

 

商品をや自分自身の名前を売ることに全員が専念する世の中になったら、美しさの基準は著しく下がる。

「キャリア教育」がベンチャー気質と強く結びついているため、合理的で経済的な考え方が教育にも反映されつつある。自分も何度も「まずは人前に出してみよう」「一歩踏み出してみよう」的声掛けを中高生にしてきた。

 

ある経営学の先生はスティーブ・ジョブズを例に、「彼は失敗の天才。プロダクトのほとんどは失敗作だが、とにかく社会に出してきたからこそiMacがありIPodがあり…」と語っていた。

これにもおれは素直に共感していた

 

 

イノベーターになりたいのではなく、純粋に感覚を研ぎ澄ませて、感じ取る事象に目を凝らしている人(や、そうしたいと思っている若者)は、どうしたらいいのだろうか

 

 

少なくとも、効率化・標準化と工業化(もはや工業って言葉だいぶ見かけなくなったね)にも、個性のブランド化・訴求ストーリー化には常に慎重でありたいし、自分より若い世代にもそうあってほしい

 

要するに、上から目線で人の生き方にアドバイスをするな、ということになるかもしれない。